2017年の現在、許永中氏は投資家として活動されていることが予想されます。

許永中氏は戦後最大の経済事件であるイトマン事件の中心人物(フィクサー)であったことが、

世間で取り沙汰されていますが、その意味とはなんのでしょうか。

許永中氏の動かしたとされるお金の金額は3000億円!

事件の裏で闇に消えたとされるという金額の大きさが、という人物の大物さを物語っていますね。

ここではそんな、許永中氏の人物像や、イトマン事件との関わりについてまとめます。

 

Kyoeichu_pic

出典: https://www.ichizoku.net/archive/2014/09/Osaka-Slum.html

 

  • 名前: 許永中 (きょ えいちゅう)
  • 生年月日: 1947年2月24日
  • 出身地: 大阪府大阪市大淀区
  • 学歴: 大阪工業大学(中退)
  • 身長/体重:180cm/100kg

フィクサーと呼ばれた許永中! イトマン事件との関わりは?

Itoman_jiken_pic

出典: http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50867?page=5

 

まずフィクサーという言葉ですが、元々、政治・行政や企業の活動における意思決定の際に、正規ルートとは異なった方法(お金や人脈)で大きな影響をもたらす人物という意味があります。

許永中氏がフィクサーとして関与していた、イトマン事件においては簡単に後述しますが、

繊維商社であったイトマンという会社から住友銀行の融資を介して大量の資金が美術品や貴金属などに投資された際の、

中心人物がこの許永中氏だったそうです。

在日韓国人である許永中氏は韓国政界(歴代韓国大統領など)に人脈を持っているだけでなく、

日本政治界の著名人との繋がりが度々報じられ、「日本財界のフィクサー」の異名を持っています。

スポンサーリンク

住友銀行は繊維商社のイトマンの主要取引銀行でした。

イトマンが経営不振に喘いで、総合商社へ舵を切ろうとしていた際に、自称経営コンサルタントの伊藤寿永光氏が

イトマンの経営に常務として参加しますが、自身が所有していた会社の関連事業には焦げ付いている融資があり、

その債権者であった許永中氏も伊藤氏を通じてイトマンと関係を持ったようです。

伊藤氏や許氏が絡んだとされる、資金は3000億円以上とされますが、多数の仲介者が関わっており、これらの巨額資金の行方は未だに不明とのこと。

銀行の管理状況も今とは違いなかなか、ずさんだったそうですが、

それにしても3000億円という大金が動いて行方がわからなくたってすごいですよね。

許永中の現在(2017年)は投資家?

1990年のイトマン事件で逮捕された翌年、許永中氏は6億円もの保釈金を払い、保釈されます。

その後の彼の動きについては未だに詳しくは分かっていません。

しかし、現在については「ソウルの名門・高麗大学と組み、介護に使う新製品の開発などにベンチャー投資をしている」とかたっているそうで、投資家として活動していることが推測できますね。